本当は新作を一番最初に投稿したかったけど書き終わる気配がないのでSuimy時代に書いた作品で文章を賑やかしたい
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◆とある恋娘の話
開店前の喫茶店というのはどうしてこうも穏やかなのだろうか。兄の幼馴染が経営するこの喫茶店でバイトを始めて以来、長期休暇に入ると私はこの時間に入ることが多くなった。
客がいないなのだから静かなのは当然なのだけれど、そういった意味でなくてもっと別の何か――生憎、上手く表現することは出来ない――があると私は考える。
埃を払い、テーブルを磨き、開店準備を進めているとふとカウンターの植木鉢が目に入った。
「ねえ茜さん、カウンターの花しおれてきてる」
つい昨日までは綺麗な花を咲かせていたのに、今日見る花はどこか元気がなさそう。まだ花が咲き始めて間もないのに、一体何があったのだろうか。
調理場で仕込みをしていた茜さんも一緒に植木鉢を覗きこむ。それでもやっぱり原因は分からなくて、さすがにしおれかけの花を置いておくことは出来ないからと下げることになった。
私はあの花を気に入っていただけに残念だった。それが顔に出ていたのかもしれない。茜さんは少しだけ眉をひそめて「ちょっとまっててね」と言うと厨房の奥に引っ込んでしまう。
しばらくして戻ってきた彼女はエプロンの上から薄手のパーカーを羽織っていた。
「仕込みの方、あとは母さんに任せたから。お花貰いに行きましょう」
「もらいに、ですか?」
買いにではなくもらいにとはどういう意味なのだろう。いや、そのままの意味なのだろうけど、てっきりどこかのお店で仕入れていたのだと思っていただけに驚きだ。
私は促されるままにお店を後にして彼女の後をついて行く。バスの中で聞いた話によれば、知り合いが栽培している花がもらえるらしい。お店に飾れるようなそんな綺麗な花を育てているのだろうから、その道のプロなのかと思えばそうじゃないようで。
楽しそうに話す茜さんの話を聞いている内に、どんな人なのかすごく興味が湧いてきた。
喫茶店を出てから三個目のバス停で降りて、そこから徒歩で五分くらい。喫茶店のある住宅地とは違って、周りには田畑が目立つ小道の奥。山の麓にほど近い場所にその人の家はあった。
開けた庭には数え切れない程いろんな色の花が咲いていて、その隣には畑もある。
「伊澄ちゃん、こっちこっち」
ぼーっとしていると茜さんに手を引かれて、広い庭を横目に玄関の呼び鈴を押す。
「朝早くにごめんなさいね。この間もらった花しおれてきちゃって。診てもらうついでに何か次の季節に相応しい花をもらおうかと思って」
玄関の扉を開けて出てきたのは背の高い男の人だった。てっきり女の人が育てていると思っていただけに驚いて、私は慌てて挨拶をしてお兄さんに案内されて家の中に入る。
まるで外国のお屋敷のような綺麗なリビングを抜けて、あの庭に出る。
「美奈子、茜ちゃんが来たんだけれども」
お兄さんが声をかけると、カラフルなレンガ道を車椅子の女の人がこちらに向かってくるのが見えた。
「あら、あなたは……?」
とても綺麗な女の人だった。ぎこちなく自己紹介をして握手を求めると、女の人は笑って手を握り返してくれた。女の人は美奈子さんというらしい。
「それでこの間もらったお花、咲いたと思ったらしおれてきちゃったのよ」
「変ね、すぐに散ってしまうような花じゃないのに」
「でしょう? 何か良くないことでも起こるのかしらね」
二人の話よりも周りの花の方が気になってキョロキョロとしていると、さっきのお兄さんと目が合って手招きをされた。
「美奈子たちの話って退屈じゃない?」
「いえ、そんなことないんですけど、花の方が気になって」
「じゃあきみが気に入った花をあげるよ」
「え?」
私が決めてしまってもいいものかと言えば、お兄さんはどれでも好きなの持っていってもいいからとニコニコ笑う。不安になって美奈子さんにも聞きに行くと、彼女にもぜひそうしたら良いと勧められてしまった。
それなら……とぱっと見て目を惹かれた花を数種類手に二人に別れを告げる。開店まであまり時間はないのだ、もっとゆっくりしていきたかったけど仕方がない。
急いで帰った頃には既に常連さんがちらほらと席に着き始めている頃だった。
「おや、伊澄ちゃん居ないと思ったら。遅刻かな?」
「違いますよ。伊澄ちゃんにはお店に飾るお花を選んでもらっていたんです。これ、伊澄ちゃんが選んでくれたんですよ。綺麗な花でしょ?」
カウンターと窓際に花瓶を立てて私は仕事に戻る。
その後も来てくれるお客さんたちが口々に花のことを気にかけてくれて、私はただ選んだだけなのに、と思いながらもなぜだか嬉しくてたまらなかった。