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​神様からの手紙

 ある日のことでした。森の中の小さな家で暮らすきつねに、手紙が送られてきたのです。手紙には、こう書かれてありました。

 

    きつねへ。

    大事な話がある。

    月がのぼったら、タイジュの根元へ来てくれないか。

    待っている。

 

 最後には、こう書かれてありました。神、と。皆が敬い、そして憧れている、神様からの手紙でした。きつねは浮かれてしっぽを振ります。神様の姿は、今まで誰も見たことがない。けれど、おそらくはボクだけが会えるのだ。森の奥の奥にある、タイジュと呼ばれている木の下で。とても幸せになりました。とても、とても、心地の良い気分になりました。

 今まで過ごしたそれよりもずうっと、その日の昼は長いものでした。

 やがて、月が昇るか昇らないかという時刻、きつねは家を飛び出しました。走って走って、勢い良く走り続けてタイジュまで来たというのに、神様は既にそこで待っていました。月明かりが木々に遮られ、辺りの様子も殆どわからないというのに、神様はまるで光り輝いているようにはっきりと見えます。きっと神様の光のおかげでここまで無事に来れたのだ。きつねはそう思って、その後で、この暗い中をまっすぐ駆け抜けてこれたことに気付きました。

 神様は微笑んできつねを眺めます。その姿は、初めて見た筈なのにどうしてだか、懐かしさがありました。ずっと会いたかったと、そんな気がしました。神様への憧れでなく。貴方に、ずっと会いたかったと、そう感じたのに神様の名前も頭の中から出てきません。

 そもそもボクが神様の名なんて、知っている筈ない――ないのに。どうして。

 思い悩むきつねに、神様は話します。

 きつねをここに呼んだ理由。

「お前に……次の神になってはもらえないかと、思ってね」

 驚くきつねに説明します。神様というのは、実は次々に変わっているのだと。こうして呼んだ相手に頼みこんで、頷いてもらえれば、そこで交代するのだと。その言い方がひっかかりました。頼みこむ。なんだか嫌なことをしてもらう、という言い方です。

 尋ねると、神様は一瞬だけ言いよどんで、それでも、話し始めました。

「神になるというのは――辛い事だからね。今まで名を呼んでくれた友人や――家族が、自分を神様と呼び、自分の本当の顔を知らなくなる」

「…知らなくなる?」

 神様は辛そうに言います。

「神になれば、もう「神」でしかいられなくなる。皆、その元々の姿を、名を忘れ、会ったこともない神様と呼ぶようになる。」

 そして――冗談だよ、と言いました。少しの間ほっとしたきつねは、すぐに誤解を解かれてしまいます。名を忘れられる――そこでなく、きつねに次の神になってもらいたい、そこが冗談だと。

 ただ、お前の顔が見たかったのだ。

 神様はそう言います。

「お前に神を代わってもらえたら、どれほど楽になるだろう。お前は優しい子だから、頼めば代わってくれるかもしれない。ほんのちょっとだけ、そんな馬鹿なことも考えたよ。けれどね、お前に神を押しつけて、楽になどなれる筈がない。今より何倍、何十倍何百倍、いやいや比較にならないほどの苦しみに襲われるだろう。だからね」

 お前の顔が見れた、それだけで充分だよ。

 きつねは、言ってしまおうかと思いました。ボクが次の神になる、と。けれど、それは神様の話を完全には理解できていないおかげで、思えることで。実行してしまえば後悔するのだろう。自分も、神様も。そう思って、誰も幸せにならないその言葉を、口に出せはしませんでした。

 それは正解の筈でした。

 それなのに、きつねの胸の中をもやもやしたものが渦巻きました。

 なんだか苦しくて苦しくて、吐いてしまいそうになります。いつの間にか涙まで零れていました。駄目だ、もう泣かないって、昔約束したのに。

 誰と?

 懐かしい気がする手が、きつねの頭を撫でました。

「ごめんな、辛いことを教えたな。こんなこと、言わなくたっていい筈なのにな。ごめんな」

 何度も何度も、神様はごめんと言い続けました。ごめん、ごめん。ごめんな。きつねはその言葉を聞いて、余計に苦しくなりました。気付くと、胸の中でぐるぐる暴れ出すものを、口から吐き出していました。

「あやまらないで!……謝らないでよ、神様。神様だって泣きたかったんでしょう?苦しいことを誰かに知ってほしいんでしょう?ボク、きっと神様にはなってあげられないけど、苦しいこと聞くくらいできるよ。ボク、もう泣かないって、昔誰かと約束したの。だから、代わりに泣いて。ボクは神様の代わりになれないけど、神様はボクの代わりに泣いて」

 そんな我儘を聞いて、神様は確かに頷いたのに、にこっと笑いました。

 そうして、もう帰りなさいと言いました。

「神様……また来るね!そうだ、ここに来る時は手紙ちょうだい。そうしたら、ボク絶対来るから。その時はきっと泣いてね」

 神様は笑って、手を振りました。

 暗い夜道を、きつねは迷わず帰って行きました。

 それから、きつねのところへ手紙は来ません。それでも、きつねは待っています。いつか、あの、きつねに良く似た顔の神様に会いたいと、そう願って。

 あの懐かしさの正体を知りたくて。

 苦しさを吐き出してほしくて。

 そしてやはり、単純に、会いたくて。

 きつねは今日も、神様からの手紙を待っています。

 神様の名を、未だ思い出すことはないけれど。

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