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​魚は窓の中に住む

 私が幼い頃の話よ。
 部屋の窓に、魚が住んでいたの。
 真っ黒い魚だったわ。元々は紙だった。私が黒い画用紙を切り取って、のりで貼りつけたの。お母さんに見つかって、怒られたけど、でも結局そのままにしてくれた。その頃に読んだ、何かの話の影響で、魚が好きだったのよ、その時私。なんだったっけ…。ああ、そう、国語の教科書に出てたのだったかしら、ほら有名な魚の話。それで黒なのね。ああ思い出した。
 それでその魚ね。ある夜、動き出したの。真っ黒い夜空をバックに、真っ黒い魚でしょ。でも目とひれ…胸びれだけは白かったから、それだけはよく見えたわ。白い紙を貼ったんだったか、白いペンで描いたんだったか……どうでもいい? ええ、どちらも同じね。
 泳ぐひれと目が見えたの。
 やっと動き出したわね。って思ったわ。その頃私、動くって信じてたから。だから、驚かなかった。お母さんやお父さんに見つかったら、びっくりするかなとは思ったけど。でも昼間に魚が泳ぐことはなかったから。私がベッドにいる間だけ。昼間は寝ていたのかなあの子。
 私がペンで窓ガラスに点を描くでしょ? 本当は魚と同じ色の方が良かったかなと思ったんだけど、夜に黒じゃ自分で見えないから。だから白いペンとか、あと水色が多かったかな。それで点を描くと、魚がそれを食べるの。私の描いた点が、あの子の餌だった。
 毎夜私は餌を描いてやったし、おしゃべりもしたわ。向こうは魚だから口をきけなくて、私が一方的に話すばかりだったけど。学校であった事、幼馴染と喧嘩した話、それから仲直りの報告。楽しかったわ。――楽しかった。
 夏休みにね。
 家族でおばあちゃんの家に、泊まりに行ったの。ええ、だからその日の晩は、私は家にいない。魚の餌をどうしようかって悩んだけど…。でかける直前、窓にいっぱい点を描いておいたわ。夜に私がいなくても、魚がお腹を空かせないように。一晩だけだから、大丈夫だと思った。
 帰ってきたら、点はひとつも減っていなかった。そして魚の姿は、どこにもなかった。
 残された点々はお母さんに見つかって、また怒られて、今度は掃除させられた。窓をふきながら、あの子が帰ってきたらまた点を描いてあげなきゃいけないと考えていた。いつか帰ってくる筈だから。でもまだ帰ってこないの。
 あの子、ベッドにいない私を探しに出てくれたんじゃないかと思う。優しい子だったのよ。ただ泳ぐだけ、餌を食べるだけだったけど、そんな気がしていたの。いつも私の話を聞いてくれた。
 今、どうしているのかしら。お腹を空かしてなきゃいいけど。

 

 また会いたい。

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